映画『アリスとテレスのまぼろし工場』感想と考察など

注意:感想、評、気がついたこと、考えたことを書く。きれいな文章、あるいは論考にはまとめていない。映画の内容を含む。映像美と音楽にはほぼ言及していない。一度見ただけだから内容の誤認もあるだろうが、考慮しない。

 

 

 

 

タイトルについて

・まずタイトルについて書かねばなるまい。アリストテレス哲学とこの映画の関係はあまりよくわからなかった。哲学徒のはしくれとしてそれなりに気合を入れて観たのだが。ただ今書きながら整理されてきたものもあるため、それはこの記事の後半にまとめて書く。

 

 

総評、ストーリー面、テーマ面での評と感想

tips:メインテーマにだけ興味がある人は次の章に飛んで読み進めてもおそらく問題ない。

 

・総評:ストーリーは面白く、音楽や映像もそれをよく引き立てていたと思う。テーマもこんな記事を書きたくなるほどに魅力があり、面白かった。一方、こちらを納得させて着いてこさせる気があまりない映画だと思った。いくらか考えて観ることが要求される映画は好きで、本作もなんだかんだもう一度観たいくらいには気に入っているが、そういうスタイルを維持しつつ、この映画をもう少し親切な作りにすることもできたのではないか? と思う。

 

・ストーリーについて。前半はやんわりとしたディストピア的世界の中で多くの謎が登場、そして明らかになったり進展したり、という調子。後半は主人公らの感情的クライマックスに派手なアクション、主人公の選んだ道の提示といった感じか。

・手に汗握る展開はエンターテイメントとして楽しく、実際手どころか全身に汗をかきながら見ていた。しかしなぜ時が止まったのかという(ストーリー上は)超重大な謎に「解けきった感」がなく、このあたりが不親切感に繋がっている気がする。

・予告編や本編序盤の展開から、佐上睦実と五実は何なのか、なぜ時が止まったのかという点を「解決」していくストーリーは期待されて然るべきだと思う。五実については良かった。が、睦実については「謎」として登場したにもかかわらず、実は正宗にとって謎である以前に好意の対象でもあったというのがちょっと入り込みづらかった。時間の停止についても、祖父の言及は「答え」とは感じられない。

・それでも十分いい映画だったと感じているので、予告編の構成や序盤の伏線の張り方が違ったらもっと良かったんじゃないかと思ってしまった。

 

・テーマについて。時間、変化、恋愛、親子・継承あたりか。少し散らかっていた、つまり重要なテーマが多すぎたような印象。私は時間と変化が一番重要なものだと感じており、親子と継承はそこに自然に付随しているので、恋愛感情だけ、どこか浮いて見えた。恋愛は物語上欠かせないし、最後のシーンでも五実の独白として初めての失恋が語られているため、ここも完全に包括して読み通したいのだが。

・性もテーマと言っていいくらいに意識させられた点だったが、序盤に大量投入された割に中盤以降は出番がなく、テーマっぽくない。またその序盤での描かれ方についてだが、ポップで一般に許容されやすい表現でもなく、かといって露悪的なコメディでもなかったのが良くも悪くも印象的だった。笹倉大輔の言動と、女性的特徴が強調された序盤の五実の描かれ方は少々不快ですらあったが、不快なレベルまでリアル寄りに描かれたことで、性は焦点化されるのではなく背景化され、序盤の展開と湿度に貢献した後は自然に消えていったのだとも言えそうだ。このようにまとめた時、五実の服が脱げそうになった時に正宗が「ストップ―!」みたいなことを言って暗転するカットは、無駄にコミカルで良くなかったと思う。一方、睦実が五実の体を洗う絵を描いて赤面し破るシーンは画としても描写としても良く、秀逸だった。

・最も重要な「変化」については、一応アリストテレス的なものと絡めて整理したいのでもう少し下で書く。

 

 

アリストテレスについて

アリストテレスについて。作中で明示的に関係している部分は、漫画に登場する「エネルゲイア」という単語を正宗の父が面白そうに語るシーン、「希望は目覚めている人間の見る夢である」という「とある哲学者」による言葉。

・前者は言及されていた〈無時間性〉が、言うまでもなく街の状況とリンクしており重要なのだろう。だが、「時間を必要とせず目的(の達成、完成)と行為が一致している状態」はこの映画のテーマとは思えない。しかしわざわざタイトルに含めてしまうくらいだから単なるモチーフで済ませるわけにもいかない。ありえるとすれば、本作のストーリーによって乗り越えられる側だろう。

・これを言ったのが父であることは、後に見つかる日記と関連して重要かもしれない。

・後者(「希望とは云々」)は調べるとアリストテレスの名言として非哲学的なサイトがヒットする。原著を読んでいないが、見たところ哲学的に重要な含意はない、単なるレトリックに近い言葉だと思われる。

・また、暗示的にアリストテレスを想起させられたのは、五実が空に手を伸ばしてひび割れの向こうの現実を「知りたい、もっと知りたい」と叫ぶシーン。「人は誰でも生まれつき知ることを求める」という言葉でアリストテレス形而上学』は始まっているらしい*1

 

 

変化という主題、主人公としての正宗の態度とその対極としてのエネルゲイア

・私が読み取った主題を先に提示する。

変化:「(人は、自分という同一なものがあってそれが時間を経て変化するかのように考えがちだが、)本質的に重要な変化というものはある人間を別の人間にしてしまうものなのであって、今の自分を犠牲にし失う覚悟があって初めて、より良い(と思う)次の自分へ進む、あるいは未来の自分に良いものを贈ることができる。」

時間:「本質的に重要な変化に時間は欠かせない。無時間的な、そこだけで完成されているような(エネルゲイア的)瞬間というものもあるかもしれないが、本質的に重要な変化はそれを上回るだけの価値がある尊いものだから、無時間的な完成に留まろうとしてはいけない。」

親子・継承:「子どもは、二人の人の間に他の材料もなしに産まれるのに、その二人とは全く別の人格として存在する。それゆえ出産は、本質的な変化の象徴的な一形態だ。現状の完成に満足し、それを維持しようとする人から子どもは産まれない。今の自分を捨てることで初めて、自分と繋がった自分ではない者に対して未来を贈ることができる。これこそが、物語の主人公に相応しい尊い態度である。」

 

・変化については、睦実が現実世界の(未来の)自分を徹底的に他人としてみなしていた点が印象的だろう。未来の自分のために努力しても、今の自分がその喜びを得ることはないし、未来にいる人間は、過去に感謝したとしてもその時点の自分にはそれを伝えることができない。その意味では、同じ人の過去未来は、時間によって断絶された他人同士なのである*2

・そして後に、正宗も未来の自分たち夫婦を対象化し、彼らを救いたいと強く願うようになる。今の自分たちの世界を犠牲にしても、未来の自分たちのために良いものを贈ろうとするのである。これこそ、物語の中で主人公だけが成し遂げる変化なのだ。五実を現実世界に送還し救おうと志すもう一つの目標と併せて、主人公的態度と呼びたい。

・その対極にあるのが、無時間的な世界に留まる態度。悪役として、佐上衛にわかりやすく象徴される。彼は未来(=五実)に何も与えず、変化を排除するという形で、現在を可能な限り引き伸ばし、自分の理想通りの世界をつくろうとする。

・「アリスとテレスのまぼろし工場」というタイトルをなんとか解釈するならば、アリストテレスエネルゲイア→佐上衛的態度→時を止めまぼろしを生み出した工場 と繋げるしかないと思う*3

・正宗のしたことには、未来の自分たち夫婦を救うことだけでなく、五実を救うことも含まれ、むしろこちらが主である。ある人が変化するということと、ある人が子どもに未来を遺して死ぬということは相似形であり、後者が前者の特殊例とみなすこともできるが、本作ではこの親子の継承が特に重要なものとして扱われる。

・変化の前の自分と変化の後の自分は、ある意味で別人だが、どちらも「その人」の一部でもある。同様に、子どもというのは独立した人格でありながら、両親の一部という側面も持つ。だからこそ五実は、正宗と睦実の恋愛関係に対し自分が「なかまはずれ」だと訴えるのだ。そして、その未熟さゆえに、そんな一体的な三人のまとまりから自らを分離して現実世界に帰ることを拒否する(=佐上衛的態度)。だからこそ、電車の中で睦実は、「あなたには未来をあげる。でも正宗は私のもの」という言葉を突きつける必要があった。これは睦実が継承を宣言し、五実に本質的な変化を受け入れる(=一緒にいられるまぼろしの世界の自分を殺して未来へと向かう)ことを促す決定的なシーンである。

 

・クライマックスについて書いたが、それ以外についても主人公的態度と佐上衛的態度の対立軸で少し整理したい。

・新田(センター分けの友達)と原のカップルで言えば、原は佐上衛側。新田は正宗の計画を手助けしたが、思想的に正宗に近いというよりも、正宗への信頼とある種のものわかりの良さでそういう行動になった感がある。新田と原が心の底では連帯していないことは告白シーンを見るだけでも明らかで、正宗と睦実とは対照的だ。

・叔父と母は対比的な関係に見えるかもしれないが、滅ぶ無時間的世界でどう生きるかという点で相反しているだけだ。死という代償を払っても変化し未来に遺すことを選ぶ正宗の生き方と比べると、叔父も母も同様に、正宗とは対極の、佐上衛の側にいる。

・この対立軸では、父と祖父は正宗の側にいると言える。

・祖父は電車を動かし、父はいち早く五実の送還を志し、正宗と睦実がそれを成し遂げた。睦実を弾いてしまうが、祖父―父―正宗という一つの系列が展開上重要なのは注目に値する。

・父は、正宗の絵の成長にエネルゲイア的完成を見て取った。それを受けて祖父は、時が止まった理由について、神様も一番良い状態(エネルゲイア?)で止めておきたかったのだろうと示唆、また理解を示した。行動としては政宗的な変化に寄与しつつ、思考の面ではエネルゲイアの無時間的完成にも寄り添うという珍しい共通点が描かれている。

・父は失敗する者として描かれる。日記には、正宗のようにこの世界でも変わっていくことができなかったと吐露されている。そして五実の送還にも失敗する。しかしこの五実の送還は正宗が引き継いで成功させる。父は失敗しつつも、たしかに未来に何かを継承し、変えることに成功しているのである。

・細かいことだが、自分の子どもについて「政宗ができちゃった」という言い方をしていたことからも、彼が変化を主体的に選び取れる人間ではなかったことを示していると言えるかもしれない。

 

 

取り残されたテーマ:恋愛について

・恋愛感情についての印象の強い描写「好きが笑いものにされた」「助手席に乗ったから好き、それは違う」「好きと大嫌いがなぜか近い」「好きは痛い、甘い痛み」「好きは痛いじゃなく『居たい』」は統一的なテーマに包含して捉えることができなかった。

・ただ、恋愛というイベントは変化というテーマに包含されうる。なぜなら、告白という行為はそれ以前とそれ以後を完全に断絶する、つまり現在の関係性を破壊して未来の別の関係性を目指す、不可逆的なものだからである。

・しかし、この物語内の恋愛は結局、無時間的で(本質的な)変化ができないはずのまぼろしの世界でも為されている。これをどう捉えるかはかなり重要そうだが、今は頭の中ではっきりしてこない。

・未来に繋がらない恋愛などまさしくまぼろしだなどと言うのは完全に「やり過ぎ」だと思うのだが、正宗と睦実が激しめのキスシーンで生(現実の側のもの、まぼろしの世界は生を実感できない)を実感したところを見ると、性→生殖→未来という方向への接近に価値が見出されているように読んでしまう。五実を送り届けてからまた生を実感するシーンがあるのも、この推察を補強してしまう。

・ついでのような形でここに書くが、睦実が「お前も結局オスかよ」と叫ぶ印象的なシーンは、当時変なセリフだなと思ったが、今思えば「父親であるにもかかわらず五実にとって恋愛対象となりえてしまうのか」という意味だったのだろう。「女々しい男手を期待していたのに正宗も結局五実に欲情するのか」という意味に聞こえたが、流石にそれでは映画のあの時点で既におかしい。

 

 

締めの雑感

子どもと未来を肯定していくというテーマはこの前も某作品で見たぜという感じだったので、驚きつつ、現代の風潮に対するアンサーめいたものとしてホットトピックになっているのかなと思わされた。もっとも、私の研究分野に反出生主義が含まれているからそういう見方になるのだとは思う。予告編などはどちらかと言うと恋愛感情に焦点が当たっていた気がするので、そちらを主軸に据えて読み解こうとするのが王道なのかもしれない。

改めて振り返るとやはり結構いい映画だった。どうも細かい不快な要素があり、満点という感じではなかったが、それでいてここまで書いて考えてしまうほど魅了された。それも、制作陣の胆力の為せる業かもしれない。不快になりうる要素は丸めようと思えばたぶん丸められるけど、それでも表現したい世界観のために残したのだろうと思うし、結末についてもなかなかだ。正宗と睦実と五実以外みんな本質的に救われていない。正宗の姿勢に誰かが感銘を受けるとか、そういう小手先のフォローで大団円感を出すことだってできただろうに、それをしなかったのがこの作品の完成度を高めていると思う。1時間50分と長くないが、ガツンと来る映画だった。

*1:山口義久アリストテレス入門』,ちくま新書, 2001, p.24。『形而上学』は手元にない

*2:自己同一性を強固なものとみなさず、時間的に隔たっている自分を他人のようにみなすという発想は私がこの映画を見てオリジナルに考えたことではない。ここに書いたような仕方で主張されているわけではないが、 Parfit, Derek, ‘Personal Identity’, The Philosophical Review,
80.1 (1971), 3‒27. に影響を受けている。念の為。

*3:しかし、アリストテレスが佐上衛的態度を哲学的に主張したというわけではない。私がここで書いている解釈はエネルゲイアという単語を使わなくても全体として成立するものである。アリストテレスの哲学とこの映画の関係はそこまで深くないと考えている、ということをここに明記しておく。

僕とコントラクトブリッジ、日本代表

夢を見た。夢の中の僕はなんだかブリッジがとても上手いようで、U-26の日本代表になるらしかった。

目が覚めた時、とてもいやな気分になった。現実の僕は、あのとき日本代表を目指さなかったことを、後悔したことなどないはずだった。

 

その夢を見たのは、ブリッジの授業の打ち上げの翌朝だった。TAのような形で一緒に手伝いをしていたメンバーには、同期も先輩も後輩もいたが、僕以外がみな日本代表だった。このことが夢に影響したのは間違いない。

でも、こんな夢を見ちゃあ、まるで僕が彼らを羨んでいるみたいじゃないか。

 

それからしばらく自分に問いかけ続けた。およそ一年前にした決意を、僕は本当に後悔していないのか。

よく心の中を覗いてみても、実際後悔はしていないようだった。

それでも僕は、どこかで羨ましかったのだということを、この時に初めて自覚した。

 

練習漬けの生活の中で、あるいは能力不足に直面した瞬間に、ブリッジを好きであり続ける自信がない。二足のわらじが苦手な僕は、院試と研究に専念すべきだ。何度も反芻した、諦める理由だ。他にも多少理由はあるが、それはまあいい。とにかく僕は、日本代表という大きな山に、挑戦することもしなかった。

 

今考えても、この僕にとって、その選択は正しかった。もし代表を目指していたら、心身ともにボロボロで、ブリッジのことが嫌いになり、当然まともに研究もできず、それでも最後までやり遂げようという気持ちだけで、練習していることだろう。

でももし、この僕ではなく、別の僕――もう少しだけ体力があって、くよくよせず、自分の世界に夢中になれる、そんな僕――がいたら、その僕はきっと代表を必死に目指していたと思う。

僕は、あのときの選択を後悔しない。でも、僕はあのとき、その僕でありたかったのかもしれない。

 

 

TAも御役御免となった今、僕は競技プレイヤーであることをやめたばかりでなく、ブリッジ界へのコミットそのものがほとんど停止したと言っていい。それでも僕はこんなふうに、未練の糸を何本か残している。

 

ゲーム自体は細々続けるとしても、院を卒業するまでに、気持ちの上でけじめはつけておきたい。こうやって内省したり、できる範囲で何かを埋め合わせることで、それが達成されることを願う。

告解の虚偽方便5

 迷っていた。海老との情報交換で内なる真実を暴き出された僕は、その温かさに包まれ、しかし、あまりに眩い真実の光に、処方箋のことをすっかり忘れてしまっていた。

 迷路の如き檻に立てば、目の前には網目が織る網目、分岐が作る分岐。進むか退くか、右往左往迷えば、前後も不覚、もはや残された分岐は、内か外かのみだった。処方の効果が切れた僕は真っ直ぐと内を目指し、鏡の前に立つ。真っ暗な世界を分け入って分け入って辿り着いた先で、違和感に手を伸ばして指が触れたのは、潔白の異端者。

 物言わぬ異端者は異端であることが雄弁であり、除けられるのを待つように、誰より堂々と居る。僕が引っ込めた手を思わず自分の頬にやると、異端者は
「お前は私だ」
 と言った。次の瞬間、後ろにぽっかりと穴が空き、吸い込まれるように強烈な突風が吹く。体がグイグイと引き寄せられていく。
「あなたが多数派である世界へ、そこの異端者が普通である世界へ」
 この声は、後ろから、穴から聞こえてくる。よく意味がわからないが、潔白が普通ならそれは素晴らしいことだろう。潔白の異端者はまた沈黙している。こいつはさっき僕に、自分と同じだと言った。なら僕も異端なのだろうか。その僕が多数派に戻れるなら、戻ったほうが?
 そう思った瞬間、目の前の世界は反転し、異端者によって取り囲まれた暗黒が僕を見ているかのように見えた。すぐ我に返ると僕は穴の間際まで来ており、遠くに異端者が立っている。かろうじて穴から離れてそちらへ戻ろうとする僕に、
「なぜ行かない」
 と異端者は問う。一歩も動かないままに。
「白は白でありさえすればいい。黒は黒ならそれでいい。理由はあなたと同じだ、僕はあなただ」
 なんとか歩を進めながら、僕はそう叫んだ。すると風は徐々にやみ、穴は閉じ、同時に壁は開き、異端者も暗黒も視界からいなくなり、気づけば僕は、ノートを持って鏡の前に立っていた。

 迷路を抜け出してみれば、あの時選ぶべきは内ではなく外であった。偶然の出会いに助けられなければ、無数に枝分かれする迷路を未だ彷徨っていたことだろう。そんな思いから潔白の異端者に心の中で礼を言い、僕は髪をかきあげながら、鏡の前を去った。

告解の虚偽方便3

 僕は下僕として凡才らしく忙殺されつつ希望への参謀も兼ね女神に仕えている。始まりはひと月ほど前だった。

 その頃の僕は、創造の女神を捕まえてしばらくハネムーンに旅立とうと目論んでいた。しかし、まずは日々の仕事を終わらせなければ気が済まない。なら彫刻の材料に使う木を切りましょうと斧を携えて森に繰り出したが、今度は斧の持ち方に困り果てた。いったい右手が上だったか左手が上だったか。悩んでいるうちに両手が柄に巻き付いてしまい、斧はカドゥケウスの杖に変貌した。僕は商いなどに興味はないのだと慌てて両手をほどくと、真ん中にあった斧は勢い余って飛んでいき、目の前の泉にどぼり。すると案の定、泉の精が出てきたのだった。
「あなたが落としたのは創造の抽象的女神ですか、それとも創造の具象的女神ですか」
「金の斧と銀の斧ではないのですね」
「それにも興味はないでしょう」
「聞こえていましたか」
「さあ答えなさい、落としたのはどちらですか」
 追い求めていたのは創造の抽象的女神の方だったが、この質問には欲しいものを返してはいけない。僕は一瞬考えてから、こう答えた。
「残念ながら私は、男も女も落としたことがございません」

 僕の冗談がつまらなかったのか、泉の精は創造の具象的女神を寄越してきた。しばし唖然としていた僕であったが、この女神は開口一番に意外なことを言ってのける。
「作業場を私に預けなさい。その方が目標にも近づくことでしょう。その代わり私に仕え、雑務は全てこなすこと」
    はい、と小さく頷いてしまってから、僕は自分が承諾したことに気がついた。そのために始まった仕事生活の様子は一行目に記した通りである。しかし女神不在では希望の見えない茨道だったことは疑いようもなく、今では不意に出た自分の頷きにさえ感謝している。ではあの時、なぜ生返事をしてしまったのか。僕にはどうしても気になっていることがあったのだった。僕はのちにそのことを相談している。
「女神さま、私めの斧はついに返ってきませんでした。これでは彫刻の材料が手に入りません」
    すると女神はこんなことを言った。
「木が無いなら森を使えばいいじゃない」
    人が人なら神も神だと、僕は悟った。

告解の虚偽方便2

 本日、彫刻が再開された。久しぶりに重たい鑿で空間を削り出して本日の作業を終える。時間にして20分、実に簡単。何某は宇宙を掘り出すのに6日間かけたらしいが、僕の彫刻は5日間で宇宙をぐるりと一周する。一足先んじる僕の工房では、月曜日にして大空が開けている。

 先日は僕が彫刻をしていることを晒し上げられ非常に困惑した。
 創る者は、何かを追い求めて創るのが正道だろう。しかし日常会話の文脈では、作品を見る前に創る行為そのものが褒めそやされる。これは日常会話が間違っているのではなく、そことは別の文脈に創作行為が生きているのだろう。
 だから僕は、自分の心許すタイミングでしか彫刻の話をしたくない。その相手は必然、鑿を握る同志がほとんどとなる。この人達は、励まし合いこそすれ、過程の無意味な称揚はしないし、逆に成果物たる作品に対しては、拙いものにも妥当に価値を見出す。
 いきなり日常の文脈に放り出された僕の彫像は、そんな事情でたちまち赤面し、文字通り腰を折られ、未完成のまま廃棄されてしまった。こんな事態を避けるために、この活動は一層秘匿にされていくだろう。
 もちろんこの文章は嘘にまみれているから、何を書いても問題ない。練った嘘も赤裸々な嘘もデタラメに過ぎないのだ。

 ところで以前、彫刻とは既に完成形で埋まっている像を鑿で掘り出すものだ、と聞いた。覆い包む無駄を削げば美が現れると偉大な先人が言うのなら、小人たる僕は邪道を突き進んでいる。僕の彫刻は空間を彫り、像に無駄を付け加えていく。天使の魂が閉じ込められた大理石を彫った西の先人に対し、こちらは自由な魂を宿した動物をも材料とする。しかし今はこれで良い。なにしろ、理想形に「逆」という一文字が付いているくらいだから、邪道が王道となるのも当然なのである。捻くれ者らしく、邪道を踏破したのちに正道へ帰ってみせよう。

告解の虚偽方便1

 何やら息苦しい日が続いたので深夜0時に心の病院を訪れたところ、不正脈の疑いがあると言われた。医師は見てくださいと心伝図を取り出し、二つ連続した山型の波形を指差して「何に見えますか」と聞いてきたので「ロールシャッハ・テストか何かですか」と返せば「はい、これは鳥の嘴です」「あの、どういうことですか先生」「鳥を飼っていますね?」と。

 実家には黄色いインコがいると正直に答えたが「いいえ、青い鳥の話です」と埒が明かない。「青い鳥は思っているより身近にいるものですから、気がつかなくても仕方ありません」言うが早いか、医師はからっぽの鳥籠を僕に渡し、中を覗くよう促した。すると不思議、青い鳥が閉じ込められている。これは……と向き直った途端、僕は自分の目を疑った。医師は両手を伸ばし、こちらに銃口を向けている。

 次の瞬間、僕は鳥籠の中にいた。僕の座っていた椅子で血しぶきが上がり、青い鳥は倒れ、医師は顔をしかめて銃を懐にしまう。亡骸を天井のゴミ箱に投げ入れた医師はそっと僕を解放し、しかめっ面のまま、治療は終わりました、と呟いた。何から何まで僕にはわからないことだらけだったが、この時初めて医師と目が合い、自分はこの人に助けられたのだと実感した。

 それから数秒間呆けていた僕は、「捨てておきます」という看護師の声で我に返った。返り血に染まった白衣を脱いで渡した医師は、看護師に会釈したあと僕の方に向き直って
「それでは処方箋をお出しします」
 と言った。しかし渡されたのは何故か一冊のノートで、『告解の虚偽方便』と意味不明なタイトルまでつけられており、わけがわからない。
「あなたは書かなくていいことを書きすぎた、それも正直に。これから何か書きたくなったら、このノートに嘘を綴ってください。いいですか、嘘ですよ、なに、矛盾が起きたら覚えていないことにすればいい」

 結局僕はそのノートだけを手に帰り、眠った。そして今に至り、嘘を綴るのである。こんなことになんの意味があるのかわからないし、そんなに嘘が書けるかわからないが、とりあえず今日は意志の言うことに従ってみる。

雪の積もった朝

 雪が積もっているらしい。僕はカーテンを開ける前から、スマホ越しでそのことを知っていた。童心を躍らせる状況よりも起き抜けの憂鬱が勝るようになった二十歳の僕は、それを頭の隅に追いやって、布団を這い出て、とぼとぼ洗面所に向かい、適当に顔を洗い、ただゴミ出しのためだけに玄関に立って、その時に初めて、あぁ雪が見られるな、という実感がわいたのだった。

 玄関からドアを開ける瞬間、僕は少しだけ銀世界に、そしてそれが童心をよみがえらせてくれることに期待した。外に顔を出してみると、残念、期待は外れていた。雪は草木や駐まっている車の上に残るのみで、銀世界はおろか雪景色などとも言えたものではなかった。僕は白い息を吐いて、静かに鍵を閉めた。

 

 そりゃそうか、なんてつまらない顔をしながらつまらないゴミ出しを終えて戻ってくると、さっきは気にも留めなかった人影が目に入った。僕の住むマンションの植え込みに向かって一人の女性がしゃがみこんでいる。恰好を見るにどうやら高校生らしかったが、品の良いマフラーに包まれて周囲を窺っているその横顔は、ひとつふたつ年上かと思うほど大人びていた。そしてその手は、植え込みの何も植わっていない区画に伸びている。

 雪だるまだ、と僕にはすぐわかった。大人びた彼女がこの少ない雪で、雪だるまをつくろうとしている。だから周りに人がいるか気にしているのだ。気づくと同時に、枯れかけた童心に潤いが与えられたような気がした。きっと彼女とて、子どもの心ををそのまま持っているわけではない。しかしだからこそ、僕にはその光景が微笑ましく、守るべきもののように感じられた。彼女の胸の内には、もう「こども」ではないという自覚が確かにありつつも、なお童心と風流心とが、僅かにそれを上回っているのだろう。

 僕が彼女に近づくにつれ、向こうでもこちらを意識したようだったが、そわそわした素振りがあるだけで、手は相変わらず雪と遊んでいた。見ず知らずであっても誰かの風流心に触れることほど楽しいことはない。僕はできることなら、「雪だるま、良いですね、素敵ですね、どうぞそのままお続けになって」と声を掛けたい気分だった。そのまま続けていてほしかったからこそ、当然そんなことはしなかったのだが。

 

 そうして僕は、ほんの一分にも満たない時間でとても良い気分になって、マンションの入り口まで来た。そしてすっかり入ってしまう前に、最後にもう一度彼女の方をちらりと見やってしまう。これがまずかった。彼女と目が合う、合った瞬間、僕はどきりとして、それから悟った。もう彼女は、さっきまでの心持ちで雪だるまをつくってはいられないだろう、と。繊細な恥じらいと童心の間に立っていた彼女を、そのままの場所に留めておくような穏やかで清廉な表情を、僕は全く作れなかった。彼女の目に、僕の目線がひどく冷たいものに映ってしまうことは容易に想像できたし、ばつの悪そうな彼女の表情がすべてを物語っていた。僕自身が逃げるようにして、部屋に帰った。

 後悔と申し訳なさを持て余しながら入った部屋で、ほどなくして僕は出し忘れたゴミ袋に気づいた。あの植え込みの前をまた通るということ、これはこれで僕を憂鬱な気分にさせたのだが、結局はそれよりも様子が気になって、もう一度外に出ることにした。

 

 行ってみれば、案の定、彼女の姿はなかった。ただそこには、片手に収まるほど小さな雪玉ふたつの、簡素な雪だるまが立っていた。どうやら彼女の雪だるまは、ひとまず完成したらしい。僕も安心しないではなかった。もしかすると、もともと彼女の使えた時間はその程度だったのかもしれないとも思った。しかしそれでも、僕に邪魔されることなく一回り大きな雪だるまをつくる彼女の姿、もはや人目も忘れて雪だるまに気の抜けた表情を与える彼女の姿が、有り得たはずのものとして脳裏に浮かんで消えてくれなかった。

 僕もつくろう、そう思った。そうするしかないような気がした。手が付けられていないほうの雪をそぐようにしてかき集め、丸め、雪を足し、丸め、それを何度か繰り返し、そのうち僕も周りに人がいないか気になったが、その時はあえて見ないようにつとめた。そうしてできた雪玉は、不器用なせいでごつごつと角だらけだったが、重ねれば雪だるまには見えた。もっと雪だるまになってほしくて、小枝を刺して腕にした。顔も作りたかったが、上手くできる気がしなかった。僕は完成したそいつを手に抱え、少し迷って、彼女の雪だるまから近くも遠くもないところに置いた。もはやこの雪だるまは、彼女に見られようと見られまいと構わないものになっていた。

 こうして雪がれた僕の両手は、凍えているのに、じんわりと温かく感じられた。