雪の積もった朝

 雪が積もっているらしい。僕はカーテンを開ける前から、スマホ越しでそのことを知っていた。童心を躍らせる状況よりも起き抜けの憂鬱が勝るようになった二十歳の僕は、それを頭の隅に追いやって、布団を這い出て、とぼとぼ洗面所に向かい、適当に顔を洗い、ただゴミ出しのためだけに玄関に立って、その時に初めて、あぁ雪が見られるな、という実感がわいたのだった。

 玄関からドアを開ける瞬間、僕は少しだけ銀世界に、そしてそれが童心をよみがえらせてくれることに期待した。外に顔を出してみると、残念、期待は外れていた。雪は草木や駐まっている車の上に残るのみで、銀世界はおろか雪景色などとも言えたものではなかった。僕は白い息を吐いて、静かに鍵を閉めた。

 

 そりゃそうか、なんてつまらない顔をしながらつまらないゴミ出しを終えて戻ってくると、さっきは気にも留めなかった人影が目に入った。僕の住むマンションの植え込みに向かって一人の女性がしゃがみこんでいる。恰好を見るにどうやら高校生らしかったが、品の良いマフラーに包まれて周囲を窺っているその横顔は、ひとつふたつ年上かと思うほど大人びていた。そしてその手は、植え込みの何も植わっていない区画に伸びている。

 雪だるまだ、と僕にはすぐわかった。大人びた彼女がこの少ない雪で、雪だるまをつくろうとしている。だから周りに人がいるか気にしているのだ。気づくと同時に、枯れかけた童心に潤いが与えられたような気がした。きっと彼女とて、子どもの心ををそのまま持っているわけではない。しかしだからこそ、僕にはその光景が微笑ましく、守るべきもののように感じられた。彼女の胸の内には、もう「こども」ではないという自覚が確かにありつつも、なお童心と風流心とが、僅かにそれを上回っているのだろう。

 僕が彼女に近づくにつれ、向こうでもこちらを意識したようだったが、そわそわした素振りがあるだけで、手は相変わらず雪と遊んでいた。見ず知らずであっても誰かの風流心に触れることほど楽しいことはない。僕はできることなら、「雪だるま、良いですね、素敵ですね、どうぞそのままお続けになって」と声を掛けたい気分だった。そのまま続けていてほしかったからこそ、当然そんなことはしなかったのだが。

 

 そうして僕は、ほんの一分にも満たない時間でとても良い気分になって、マンションの入り口まで来た。そしてすっかり入ってしまう前に、最後にもう一度彼女の方をちらりと見やってしまう。これがまずかった。彼女と目が合う、合った瞬間、僕はどきりとして、それから悟った。もう彼女は、さっきまでの心持ちで雪だるまをつくってはいられないだろう、と。繊細な恥じらいと童心の間に立っていた彼女を、そのままの場所に留めておくような穏やかで清廉な表情を、僕は全く作れなかった。彼女の目に、僕の目線がひどく冷たいものに映ってしまうことは容易に想像できたし、ばつの悪そうな彼女の表情がすべてを物語っていた。僕自身が逃げるようにして、部屋に帰った。

 後悔と申し訳なさを持て余しながら入った部屋で、ほどなくして僕は出し忘れたゴミ袋に気づいた。あの植え込みの前をまた通るということ、これはこれで僕を憂鬱な気分にさせたのだが、結局はそれよりも様子が気になって、もう一度外に出ることにした。

 

 行ってみれば、案の定、彼女の姿はなかった。ただそこには、片手に収まるほど小さな雪玉ふたつの、簡素な雪だるまが立っていた。どうやら彼女の雪だるまは、ひとまず完成したらしい。僕も安心しないではなかった。もしかすると、もともと彼女の使えた時間はその程度だったのかもしれないとも思った。しかしそれでも、僕に邪魔されることなく一回り大きな雪だるまをつくる彼女の姿、もはや人目も忘れて雪だるまに気の抜けた表情を与える彼女の姿が、有り得たはずのものとして脳裏に浮かんで消えてくれなかった。

 僕もつくろう、そう思った。そうするしかないような気がした。手が付けられていないほうの雪をそぐようにしてかき集め、丸め、雪を足し、丸め、それを何度か繰り返し、そのうち僕も周りに人がいないか気になったが、その時はあえて見ないようにつとめた。そうしてできた雪玉は、不器用なせいでごつごつと角だらけだったが、重ねれば雪だるまには見えた。もっと雪だるまになってほしくて、小枝を刺して腕にした。顔も作りたかったが、上手くできる気がしなかった。僕は完成したそいつを手に抱え、少し迷って、彼女の雪だるまから近くも遠くもないところに置いた。もはやこの雪だるまは、彼女に見られようと見られまいと構わないものになっていた。

 こうして雪がれた僕の両手は、凍えているのに、じんわりと温かく感じられた。